ここから本文です。

更新日:2024年8月8日

近代の旧藤沢宿地区

地域における流通の中心地であった旧藤沢宿地区は、明治時代になって宿駅制度が廃止されたのちも賑わいを保ち、周辺の農村地帯からの麦・米等の農産物を買い取る一方、農産に必要な肥料等の販売を行う「米穀肥料商」が繁盛し、資本を形成しました。

明治20年(1887年)に宿場の南に鉄道の駅(藤沢停車場)ができると、徒歩による街道の通行者は減少しますが、旧藤沢宿地区は問屋街に転身して、地の利を生かした広範な商品流通の場となり、地元資本による銀行の設立など、地域経済の核としての役割を担うようになりました。

その後、大正12年(1923年)の関東大震災による被災に加え、昭和初期の経済恐慌のあおりを受けた銀行の倒産など、繁栄にもかげりが見え出し、明治41年(1908年)に誕生した高座郡藤沢町(旧宿場地区と鵠沼村、明治村が合併)の賑わいの中心は、町南部の観光地化、別荘地化とも相まって、次第に南の藤沢駅周辺に移行していきました。

リンク

情報の発信元

生涯学習部 郷土歴史課

〒251-8601 藤沢市朝日町1番地の1 本庁舎8階

電話番号:0466-27-0101(直通)

ファクス:0466-50-8432

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

質問:このページの情報は役に立ちましたか?

質問:このページの情報は見つけやすかったですか?