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更新日:2021年3月26日
明治11年,大小区制の廃止と郡区町村編成法の制定によって亀井野・石川・西俣野・円行・今田・下土棚による6ヶ村組合が設立され,明治22年町村制の施行により六会村が誕生しました。以後,約55年間村政が維持,運営された後,昭和17年3月10日,藤沢市と合併いたしました。
当時の六会村の人口は4,996人,戸数799戸,面積23.97平方キロであり,また職業内訳は,農業570戸,工業2戸,商業140戸,公務自由業24戸,その他63戸で農業中心の地域でありました。しかし,昭和30年代の工場誘致などを契機に,北部開発,六会・石川東部土地区画整理事業の進捗と小田急湘南台駅の開設に伴い急激に都市化が進み,農村型から都市型へ移行しつつあります。
この間,昭和47年に下土棚が長後地区へ,平成元年に今田・円行の両地区が湘南台地区へそれぞれ移行され,現在の人口は約36,000人,世帯数約15,000世帯となっています。
毎年,10月中旬の土・日曜日の両日,六会公民館は,秋空の下いつにない賑わいを見せています。「笑顔かがやく六会ふるさとまつり」をキャッチフレーズに六会公民館ふるさとまつりが,昭和52年から始まりました。年毎に趣向をこらして,内容が充実したものになり,地域住民の中に定着しており、地域の人々の連帯感を深めるためにも,また,六会がふるさとになる幼い子どもたちのためにも,郷土愛をはぐくむものとなっております。
館内では,160にのぼるサークルが,常日頃,学習したり,活動している成果を展示したり,ホールの舞台で披露するのを楽しみにしています。
本館前の駐車場には,多くの模擬店が並び,定番の焼きそばや綿菓子,地区内生産の野菜・花,ヨーヨー,手工芸の作品等の前には,長い行列ができます。
地元の太鼓団体による勇壮な演奏は,郷土に残る文化として次の世代に継承したいという心意気が伝わってきます。また,「六会ふるさと音頭」は参加者が一体となって歓喜高まり,フィナーレを飾っています。
このまつりの準備に携わるのは,公民館のサークル,自治会連合会をはじめとする地域の諸団体などの代表からなる実行委員会が先頭になって,底辺の広い手づくりのおまつりになっております。
亀井野雲昌寺,光輝山瑞龍寺と号し今田に草創される。開基は北条義時という。
武田信玄,清浄光寺(遊行寺)に対し,藤沢200貫・俣野の内100貫の土地を寄進する。
豊臣秀吉,亀井野村雲昌寺に禁制を掲げる。
亀井野村で代官彦坂小刑部元正により検知が行なわれる。
西俣野花応院創建される。
亀井野雲昌寺,寺領九石の朱印を与えられる。
引地川に船を通すことについて大庭・稲荷・石川・円行・羽鳥・辻堂の各村より,差支えない旨幕府へ書状を提出する。
円行村,村負担による水田開発を実施する。
大地震があり,円行村において年貢金が高100石につき3両割となる。
群区町村編制法により亀井野村・石川村・西俣野村・今田村・円行村・下土棚村が新しい行政区画となる。
円行村・亀井野村・下土棚村・西俣野村・今田村・石川村が合併して六会村となる。
石川学校,亀井野学校,西俣野学校,亀井野学校円行分校を廃止して,高等六会小学校設立を出願し許可される。
六会小学校,尋常高等六会小学校に改称。
六会村の戸数595,人口3,949。
関東大震災,六会村の被害,死者15人,負傷者14人,行方不明1人,家屋全潰757棟,半潰596棟。
六会村に霜害,桑,茶などに大被害。桑の相場高騰。
小田急江ノ島線の開通により六会駅開設。
六会村,藤沢市へ編入
六会中学開校。
六会に市役所支所を設置。
市農村青年研修所,石川に新設。
猿田彦大神の石廊,市の文化財に指定。
六会市民センター開館。県立ゆうかり園開園。石川地区角田ヨシ宅の「ウメ」市の天然記念物に指定。
県立「藤沢工業高等学校」開校。
市立「亀井野小学校」開校。市立「あずま保育園」開園。
石川市民の家開所。
六会市民の家開所。
市立「天神小学校」開校。
六会地域子どもの家「どんぐりころりん」開所。
市立「石川小学校」開校。六会市民センター地区福祉窓口開設。
六会市民センター石川分館と石川コミュニティセンター、オープン。
石川児童館「ぼうけんじま」オープン。
「藤沢市消防防災訓練センター」完成。
石川地区旧所有者角田ヨシ宅の「ウメ」、市の天然記念物の指定を解除。
六会市民センターの建替えに伴い、元神奈川県立藤沢北高等学校敷地の仮設庁舎に移転。
六会市民センターの建替え終了に伴い、亀井野4-8-1に移転。石川分館に地区福祉窓口開設。
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